神馬屋と書いて「じんめや」と読みます。 当店は明治八年(1875年)に和菓子屋として創業、現在どら焼の専門店と なっております。 以来「いま坂どら焼」としてご愛顧頂いております。

時代によって変化する味覚にマッチするよう、基本的なものを守りつつ、時代の流れにチャレンジする 「創作どら焼き」を取り揃えております。

「いま坂どら焼き」の特徴はハチミツたっぷり、こんがりと色よく焼いたどら皮に「求肥餅入り」 「小倉あん」をベースに現在では「ブルーベリー」や「いちごあん」「コーヒーあん」「柚子あん」 「抹茶あん」他いろいろな味に仕立てた「あんこ」を挟み、季節感を盛り込んだ当店自慢の「どら焼き」です。

製法は昔ながらの手造りを守り最良の素材を使用し品質,味等は吟味研究致して おりますが 皆様からのお言葉,励ましが何よりの勉強になります。 何なりとお申し付けくださいますようお願い申し上げます。

神馬屋の由来       神馬屋と書いて「じんめや」と読み絵馬を指します。 当店は創業明治8年(1875年)ですが、それ以前先祖が塾(寺子屋)の かたわら絵馬を描いていました。2月の初午(お稲荷様)へ供え、 10月晦日には馬柄、11月の晦日には鳥柄の絵馬を荒神様(かまどの神様)に 捧げます。 (練馬の絵馬より)
きつねの絵馬 とりの絵馬 馬の絵馬
   
いま坂とは       当時(明治時代)旧川越街道のだらだら坂は 旅人にはきつく、当店で足をとめ一休みする場所となりました。
川越街道を紹介したHPはこちら。 (「下練馬」の項に当店が紹介されています。)       
      
どら焼の由来      1543年ポルトガルより伝来した「カステラ」を ヒントに、外国船の出航時に鳴らす丸い青銅製の打楽器「銅羅」をイメージして 作ったものであると言われています。製法は平らな銅板に種を均一に丸く落とし ソフトに狐色に焼きます。製品は丸い2枚の皮に「あんこ」をサンドします。       
      
創業当時のいま坂餅      当時の「いま坂餅」を再現してみました。本来は、 白、赤、緑の3色でした。当時は旅人がこの「いま坂餅」を食べながら一休みしていった ものです。
2代目か3代目のときにどら焼に餅を入れて販売したのが餅入りどら焼の始まりと なりました。現当主(5代目)から求肥餅を使った餅入りどら焼としてご好評を いただいております。       
      
家塾の資料      当店の先祖が寺小屋(家塾)をしていた当時の資料
天保7年(1836年)〜明治6年に使用された当時の机及び郷土の歴史をあらわした「童蒙手挑灯」「童子教」「近郷村名」「女大学」等
その1その2その3その4その5その6その7その8その9       

明治時代の営業鑑札


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